エクセレンス・クラス、ラン・ラン

2016年2月20日、21日

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© Fondation Louis Vuitton / Renaud Cambuzat

料金

紹介

 

7名の若手ピアニスト(12~17歳)

ラン・ラン(2016年2月20日出席)を含む2名の指導者。

 

フォンダシオン ルイ・ヴィトン オーディトリアムは、数日間、ラン・ラン国際音楽財団による才能溢れる若手ピアニストのレジデンスの季節を迎えます。世界的名声を誇るピアニストのラン・ランによって設立されたこの財団は、次世代の音楽家およびクラシック音楽の専門家を養成し、彼らの創作意欲を刺激すると共に活動を奨励することを使命としています。

 

フォンダシオン ルイ・ヴィトンのレジデンスに選抜された8名のピアニスト(12~17歳)は2名の指導者から授業を受けます。ラン・ランおよび、彼がかつて師事していたゲイリー・グラフマンがレジデンスの枠組みで開催される公開マスタークラスの指導を行います。

 

2度の公開コンサートがこのレジデンスの枠組みで催されます。当財団の入場券でアクセスできるこのコンサートでは、レジデンスの期間中に実施された指導の成果が一般公開されます。

 

カレンダー:

公開エクセレンス・クラス

2016年2月20日(土)、11時30分~13時30分 - ラン・ランとゲイリー・グラフマンの公開エクセレンス・クラス

2016年2月21日(日)、11時30分~13時30分 - ゲイリー・グラフマンの公開エクセレンス・クラス

 

生徒によるコンサート

2016年2月20日(土)、17時~18時30分

2016年2月21日(日)、17時~18時30分

ラン・ラン国際音楽財団

ラン・ラン国際音楽財団(Lang Lang International Music Foundation™)の使命は、次世代の音楽家を養成し、彼らにインスピレーションを与えてモチベーションを高めることにあります。我々はあらゆるレベルで音楽活動を奨励して、若者の社会的発達を促し、自信を持たせ、卓越性を追求させる役目を担うと共に、他に類を見ない継続的かつ説得力のあるプログラムで共同の精神を育んでいます。その中で参加者たちは文化交流に寄与し、時の流れに応じて人間味のある感性を現わします。

 

ラン・ランは、15年以上に渡り音楽教育の促進に時間を費やしてきました。2008年にラン・ラン国際音楽財団(Lang Lang International Music Foundation™)を創設して以来、効果的かつ継続的な慈善活動や専門機関とのパートナーシップの締結を通じて、音楽教育活動を強化しています。当財団は、若者の音楽に対する情熱を養うことで、彼らが文化間の交流において重要な役割を担い、地方や世界のコミュニティーを結び付けることを期待しています。我々は音楽に関する研究と表現を活性化して、輝かしい未来の礎を築こうと考えています。

ラン・ラン ‐ 創設者兼代表

ラン・ランがフォンダシオンの発表会で宣言:『新たなキャリアをスタートさせた!』

 

ラン・ランという音楽家および人物、また彼の経験した世界に対するビジョンを一言で表すと、それは《インスピレーション》でしょう。この言葉は、彼の人生とキャリアの中でテーマソングのように成り響いています。率直で感情がほとばしる演奏を披露するラン・ランは、プライベートリサイタルや、プラシド・ドミンゴと共演したリオデジャネイロの2014ワールドカップでの壮大なコンサート、メタリカと共演した第56回グラミー賞のセレモニー、40億人を魅了した2008年の北京オリンピック開会式、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催されたBBCプロムスラスト・ナイト、さらにはアメリカ国内の300を超える映画館やヨーロッパの200の映画館でライブ中継された、フィラデルフィア管弦楽団およびシャルル・デュトワと共演したリスト生誕200周年コンサート(初めてソリストを主役にした上映)といった大舞台において、多くの人々にインスピレーションを与えてきました。彼は世界中の一流アーティストと音楽を通じた緊密なパートナーシップを構築しており、その中には、オーケストラ指揮者のダニエル・バレンボイム、グスターボ・ドゥダメル、サー・サイモン・ラトルのほかに、クラシック音楽界とは無関係なダブステップダンサーのマーキューズ《nonstop》スコットやクルーナーの帝王フリオ・イグレシアス、そしてジャズの巨匠ハービー・ハンコックが名を連ねています。また彼は、クラシック音楽をより多くの人々に知ってもらう活動をサポートしてくれる様々な会社とも関係を築いています。例えばアンバサダーのソニーにより、ラン・ランはプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番(グランツーリスモ5、6のオリジナルゲーム・サウンドトラック)をリリースして数百万枚を売り上げました。彼は西洋に向けて中国の音楽を発信することで、西洋と東洋の文化の架け橋となっています。

 

ラン・ランは持ち前のインスピレーションを常に持ち続けています。彼のインスピレーションは、自らが好んで演奏を行うリストやショパンを始めとする偉大なアーティストおよび作曲家によって体現されています。そもそも彼は、アニメ「トムとジェリー」の有名な《ネコの演奏会》でリストの音楽を見出しました。この幼少期に感じた興奮が、ラン・ラン称する《第二のキャリア》へと彼を導きました。それは、国連での活動やラン・ラン国際音楽財団を通じて、世界中の子供たちの生活に音楽を届けることを意味しています。彼は人々にインスピレーションを与えながら、自らもインスピレーションを得、インスピレーションを得ながら、人々にインスピレーションを与えているのです。ラン・ランがニューヨーカーから《鍵盤の世界的アンバサダー》と称される理由はそこにあるのでしょう。

 

中国の小さな都市「瀋陽」出身の子が、大都市に出て、国内の優秀な音楽家の関心を誘い、その後、故郷の国を離れて世界的名声を誇るカーティス音楽院(アメリカ、フィラデルフィア)に入学するには並外れた意志が不可欠です。若くしてラン・ランはその全てを成し遂げました。彼は3歳でピアノを始め、瀋陽ピアノ・コンクールに優勝し、5歳で初のリサイタルを開催し、9歳で北京の中央音楽学院に入学したのです。その後、「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」で優勝を飾り、13歳の時に北京コンサートホールでショパンの練習曲の全曲を演奏しました。そして彼はアメリカへと旅立ち、カーティス音楽院でピアノの大家ゲイリー・グラフマンに師事します。ラン・ランは常に準備を怠りませんでした。そして17歳の時にチャンスが訪れます。彼は名高いアンドレ・ワッツの代役として、『ラヴィニア音楽祭のガラ・コンサート』でシカゴ交響楽団と共演して、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏することを急遽依頼されたのです。ジャーナリストから《彗星の如く現れたスター》と称されたラン・ラ

ゲイリー・グラフマン ‐ ピアノとラン・ラン国際音楽財団教授

名高いピアニストのゲイリー・グラフマンは、1949年に権威あるレーヴェントリット国際コンクールで優勝して以来、音楽界の重鎮として君臨しています。

 

それから30年間に渡り、彼は絶えずツアーを繰り返して、リサイタルや世界中の一流交響楽団との共演で有名なピアノ曲を演奏してきました。また彼は、Columbia (CBS)とRCAにおいて、ニューヨーク、フィラデルフィア、クリーヴランド、シカゴ、ボストンの各管弦楽団や、レナード・バーンスタイン、ズービン・メータ、ユージン・オーマンディ、ジョージ・セルを始めとするオーケストラ指揮者との共演により、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ブラームス、ショパン、ベートーベンらのピアノ協奏曲の録音を行い喝采を浴びました。

 

しかし、1979年の右手の負傷により音楽活動の縮小を余儀なくされます。現在彼の演奏は、短くも才気に満ちた左手のためのピアノ協奏曲に限られており、その大半は第一次世界大戦で右腕を失ったパウル・ウィトゲンシュタインに委ねられています。このピアノ協奏曲の中には、ラヴェルの有名な協奏曲のほかに、プロコフィエフ、ブリテン、リヒャルト・シュトラウス、フランツ・シュミット、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトらの代表的な作品も含まれています。ゲイリー・グラフマンは、ズービン・メータ率いるニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団との共演により、この1924年に作曲された最後の協奏曲を北米で初めて演奏し、アンドレ・プレヴィンが指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演して、ドイツ・グラモフォンでシュトラウスの《パレルゴン》を録音しました。

 

ゲイリー・グラフマンは、演奏の機会が減じたことで、舞台以外のフィールドで活躍の場を得るまたとないチャンスに恵まれます。中でも特筆すべきは、名高いフィラデルフィアのカーティス音楽院の運営を任されたことです。彼はまず、1980年にピアノ学科の教職員として迎えられた後、1986年に学長となり、ヨゼフ・ホフマン、エフレム・ジンバリスト、ルドルフ・ゼルキンといった著名な前任者の足跡を継承します。そして1995年にカーティス音楽院院長に任命され、2006年5月までこのポストに就きました。

 

ゲイリー・グラフマンは、オーケストラ指揮者のアンドレ・プレヴィンおよびカーティス音楽院の交響楽団との共演による、ネッド・ローレムの左手のためのピアノ協奏曲第4番の世界初公演を通じて、1993年に演奏家および学長としてのキャリアを両立させました。ピューリッツァー賞を受賞した、カーティス音楽院の卒業生であり一員でもある作曲家からゲイリー・グラフマンに贈られた協奏曲は、シカゴ音楽院に次いで、カーネギーホールでも演奏されました。この初演を収録したCDはNew World Recordsからリリースされています。ゲイリー・グラフマンは、サンフランシスコ交響楽団およびチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団との共演でこの作品の演奏を続けました。

 

1996年4月、ゲイリー・グラフマンは、友人で同僚のレオン・フライシャーとの連弾で、ウィリアム・ボルコムが作曲した左手のためのピアノ協奏曲《Gaea》の世界初公演を行いました。ボルティモア交響楽団、セントルイス交響楽団、パシフィック交響楽団による初演は、まず二人のソリストとデイヴィッド・ジンマン率いるボルティモア交響楽団が、ボルチモアに次いで、カーネギーホールで披露した後、セントルイス交響楽団とパシフィック交響楽団によって開催され、1998年11月には、同じくデイヴィッド・ジンマン率いるフィラデルフィア管弦楽団に引き継がれました。

 

新しい左手のためのピアノ協奏曲に恵まれたゲイリー・グラフマンは、2001年と2002年、提供された次の3つの協奏曲の初演を披露しました。

 

ニューメキシコ・シンフォニーとバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団との共演によるダロン・ハーゲンの《Seven Last Words》、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団との共演によるリチャード・ダニエルの変奏曲《Zodiac》、フィラデルフィア室内管弦楽団との共演によるルイ・プラドの左手のためのピアノ協奏曲。

 

2003年3月、ゲイリー・グラフマンはミネソタ管弦楽団との共演により、スタニスワフ・スクロヴァチェフスキから提供された新しいピアノ協奏曲の初演を披露しました。この作品はReference Recordingsで録音されました。

 

2005年夏、新設された中国・広東国際夏季音楽アカデミーのピアノ学科の指導を依頼されたゲイリー・グラフマンは、教育、室内楽、中国文化に対する情熱を探求するチャンスを得ます。また彼は、サンタフェ室内楽音楽祭、ノースウエスト室内楽フェスティバル、モーニングサイド・ミュージック・ブリッジ(上海)の10周年記念にも参加しました。

 

ゲイリー・グラフマンは、1981年にDoubledayから出版されたバイオグラフィー《I Really Should be Practicing》の著者でもあります。称賛の声を浴びたこの書籍は、翌年Avonから文庫本として出版され、2011年には中国語版が台湾で発売されました。また彼は、音楽とは関係のない大衆向けの記事も執筆し、(コレクションを行う)アジアンアートと写真の勉強にも時間を割いています。ゲイリー・グラフマンは、ペンシルベニア大学やジュリアード音楽院で名誉博士号を取得しているほか、《カーティス音楽院の運営》を始めとする多大なる貢献が認められ、ニューヨーク市から『Handel Medallion』、フィラデルフィア市からウォーク・オブ・フェームの名誉、そしてペンシルベニア州からは芸術州知事賞が贈られました。

 

ゲイリー・グラフマンは、ロシア人を両親としてニューヨークで生まれ、3歳からピアノを始めました。ヴァイオリン奏者の父親は彼に小さなヴァイオリンを与えますが、あまりに複雑な楽器のため、まだ子供であったゲイリー・グラフマンは、後にヴァイオリンに戻る前提でピアノのレッスンを始めました。青年期になると、ピアノとの結び付きは明白なものとなっていました。7歳の時(2006年5月まで務めることになる院長の職に就任するちょうど50年前)、カーティス音楽院に入学を許可され、名高いイザベル・ヴェンゲロヴァに師事しました。ゲイリー・グラフマンはカーティス音楽院を卒業した後、数年間ウラディミール・ホロヴィッツに師事する間、夏にはマールボロ音楽学校のルドルフ・ゼルキンに師事して研鑽を積みました。